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文学の楽み方

─吉田健一

Seibun Satow

Sep, 16. 2009

 

「『楽しむ』というのは、夢中になることと世の中とのバランスである。そうした形で、『偉い人』と『おかしい人』が共存できる。それがまた、人間の楽しいところ」。」

森毅『楽しむのが何より』

 

「大丈夫、今日から本があなたの味方です」。

えのきどいちろう『最近、自信を持てなくなった人へ』

 

 先づ廻り道をすることから始める。

 ヘレニズムの思想家エピクロスはデモクリトスの理論を受継ぎながらもその決定論や懐疑主義を批判して人生の目的を幸福であると考へ快楽が最高善で苦痛が最も悪しきものであると説ひてゐる。エピクロスは快楽を後から不快をもたらすので刹那的だつたり官能的だつたりするのではなくて苦痛や不安のない永続的に続くものでさうした心の安静を「アタラクシア」と呼んで賢者の心境であると説明してゐる。アタラクシアに達するのを妨げるのが欲望そして迷信や死に対する恐怖である。生存に直接的には関係のない富や名誉といつた便宜的欲望を捨てて生きて行く為に必要な自然的欲望を最小限満たす節制とそれを取捨選択する思慮を身に付けなければならず、又死は肉体を形成する原子の離散であり魂もそれとともに消へて行くので死を恐れる必要はない。ロオマ最高の詩人であるクイントゥス・ホラティウス・フラックスはエピクロスに強く影響を受けた一人でヨオロッパの古典主義文学が最もその手本としてゐて近代前夜のヨオロッパの文学を支配してゐる。

 嘗ては「吉田茂の長男」と見られることが多かつたけれども最近では「麻生太郎の伯父」と紹介した方が通りのいいのは残念だが吉田健一(一九一二─七七)は文学にこのエピクロスの快楽を見出してゐる。淀川長治にとつての映画のやうに吉田健一には文学に対する屈折した感情はないので文学を信じて肯定的に語つてゐて文学への愛に溢れた作品こそが文学であり、文学は生きる喜びから発せられてゐるべきで人生に苦みがあるのは当り前であつて苦痛を礼讃する浪漫主義や生き難さを確認するだけの自然主義は文学を文学でないものにしてゐる。又文学は言葉であり学問ではないので作品に媒介物なしに向はない大学の文学科の文学は論外であつてTS・エリオットの亜流を生み出してゐる有様である。

 柳瀬直紀のやうに出来なくても、十八世紀の風刺の黄金時代であると同時に批評の黄金時代の作家の書き方に倣つて文体を模写してみる時、他者である為にその作家の文体を真似ると暗黙の内に行はれてゐることを明示化できるので吉田健一を読む場合にもさうしてみるのも理解するには大切なことである。尤もコンピュウタで文紋を分析すればすむといふ意見もあらうが諸般の事情によりそれは後の機会にする。吉田健一は『ヨオロッパの世紀末』(一九七〇)に於てかうした文学観を歴史的に論じてゐる。十八世紀のヨオロッパは「大体二千年ばかりの歴史で最もヨオロッパがヨオロッパだつた」時期であり「理性」が尊重されて優雅と礼節が重んじられてゐたが十九世紀は「ヨオロッパがヨオロッパでなくなることにその面目を賭けた」悪しき時代で膨張と不均衡が支配して文学に於ては不自然な苦痛礼讃の浪漫主義が隆盛を迎へる。併し世紀末かういふ破壊に対する分別ある反省が始まり、ヨオロッパそのものであるポオル・ヴァレリイを始めとする作家達による「認識する時代」へとヨオロッパは入り明晰な批評眼を通じて健康な精神を回復してゐる。「我々がヨオロッパの世紀末に覚へる郷愁は再び戻つて来たヨオロッパといふものの懐かしさである」。

 かういふ十八世紀観をヤアコブ・ブルクハルトのルネッサンス観と同じぢやないかとしてやつたりと指摘しても『禿山頑太集』の名言である「バカが図々しいのと切り離せないことは作家でなくとも知っている」と吉田健一から言はれるだけなのでフリイドリヒ・ニイチェのギリシャ悲劇観と似てゐると考へればすむことでそれならそれにに越したことはない。又十八世紀は啓蒙に時代であるので啓蒙批判をすることが二十世紀の思想界の流行でそれに便乗するといふのも『ヨオロッパの世紀末』の「後記」を読むと控へた方がいいと解る。

 

 ヨオロッパは或る意味で我々が最も知らない世界の部分で我々は先づ誤解することでこれに接し、誤解が習熟に取り違へられて既に久しいことに気付いた時にはそれまでヨオロッパを我々が誤解したり習熟した積りでゐたりしてゐた原因である世界でヨオロッパが表向きに占めてゐた位置、そこでヨオロッパに割り振られた役が厳密にはヨオロッパでないアメリカとソ聯のものになつてゐた。その方に気を取られ勝ちになつたといふことで、これは流行の心理に従へばさうなる他ないことである。そして我々がアメリカやソ聯に対してしてゐいることも我々が嘗てヨオロッパの場合に試みて何の成果も収めなかつたのと同じことで、それならばもとに戻つてよオロッパを知ることから始めるのが一層必要になり、それもあつてこの本を書くのに予期してゐなかつた勉強をすることになつた。

 

 吉田健一の「文学」は古典主義を指してゐるのは明らかで「文学(litérature; literature)」といふ概念が十九世紀以降に成立してゐて寧ろ「文(lettresletter)」とすべきだといふ修正意見もされさうだが『文学が文学でなくなる時』(一九七二)に於て「文」と「文学」の違ひに就て言及してゐて「文」と「文学」の使ひ分けが近代の問題と関連してゐることに言及してゐるのでこれ位の作家になると承知してゐるのが当然であつて批判するだけ馬鹿を見ることになる。「世紀末」に就て語る為に先づ十八世紀を考へなければならないといふのが吉田健一の認識であるのでヨオロッパの世紀末の「文学」への系譜を遡行する必要から十八世紀に向ふ以上、「文学」を使つてゐるのだらうと解る。吉田健一の議論にはさういふ所があつて世紀末ヨオロッパによつて再構成された文学の見方を基盤としてゐる為に同時代に於て普及してゐる概念を用てゐる。

 「古典主義(Classicism)」の「古典」は”classic”の訳語でそれはラテン語の” classicus”に由来してゐてロオマ人の最上階級を意味するので単に古いものを指す訳ではなくて最高のもののことでもある。古典主義は十七世紀から十八世紀の間にヨオロッパで確立されてホラティウスを始めとする古代ギリシシャとロオマの芸術の作風を参照して美学上の規範及び法則の確固とした体系を作り上げやうとする運動で理性を尊重して簡素や調和、均整、威厳、礼節、真実らしさ等を重視して先行するマニエリスムやバロックに見られる感情の表出、不自然な技巧や装飾を排除する。又その後の浪漫主義は普遍的理性や表現形式の規則性を重んじたこの古典主義に対して反発してその反対のものばかりを選び挙げ句の果てに苦痛や病気を礼産するに至つてゐる。

 十七世紀のフランスの詩人ニコラ・ボワロオは古典主義の理論を『詩法』(一六七四)に集大成してゐて調和に満ちた均整や論理の明確性、言語表現の正確性、詩のスタイルの遵守といつた美学上の原則が重要であると言つてゐる。古典主義の諸々の規則は古くから続いて来た慣習や制度だけではなくて新たに手が加へられたものも多くある。アリストテレス解釈から生まれた「三単一の規則(règle des trois unités)」といふものがあつてボワロオが『試法』に於て一つの場所で一日の内に一つの行為だけが完結されることと規定してゐるが実際には『詩学』の主張とは違つてゐる。併しこれによつて劇的事件を或特定の時間と空間に圧縮することが出来るので個人と集団の運命が相関的に決定される危機の一日に凝縮して表せられる。かうした危機の劇を作成するのに『詩学』に於て論じられてゐた「エイコス(真実らしさ)」と「アナンカイオン(必然性)」から導き出された「真実らしさ(la vraisemblance)」と「適切(la bienséance)」が重要な尺度となつて天変地異による解決といつた恣意的な劇の展開や観客を驚かせることだけが目的であるやうな社会性を欠いた節度のない残酷な演出が斥けられて劇の強度が増す。

 古典主義は長期間に及んでゐるので十七世紀と十八世紀では様子が相当異つてゐて狭義では十七世紀だけを古典主義と見なすがミシェル・フウコオが『言葉と物』に於て分節言語による世界の表象といふ観点から十七世紀と十八世紀を「古典主義時代」と一括りで呼んでゐて、フランス革命前夜までヨオロッパ社会は連続してゐるとするのが寧ろ自然である。十七世紀に表現の規則が形成されて十八世紀にそれを元に様々なジャンルが活発化してゐる。例へばフランスの十七世紀の古典主義は演劇の時代と呼んでもよくて今日でも広く知られてゐるピエエル・コルネイユやモリエエルやジャン・ラシイヌの戯曲と比べて十八世紀は文学史上に触れられるだけのも少なくなくて一般的な知名度を持つてゐるのはカロン・ド・ボオマルシェの『セビリアの理髪師』(一七七五)や『フィガロの結婚』(一七八四)位だらう。併しその十八世紀に十七世紀後半から盛上つて来た散文にシャルル・ルイ・ド・モンテスキュウやヴォルテエルやドニ・ディドロ等による傑作が生まれてゐて、その彼らは英国社会を模範としてゐて英国ではジョン・ドライデンがフランスの影響の下で古典主義の基礎を作り十八世紀に入るとホメエロスの飜訳家であるアレキサンダア・ポオプが『批評論』(一七一一)や『人間論』(一七三三─三四)等で英国独自の古典主義を確立してゐる。確固とした規則が成立してゐてそれを送り手も受け手も共有して十八世紀古典主義の自由で多様な文学が可能になつてゐる。吉田健一はウィリアム・シェイクスピアを愛読してゐて演劇にも関心があつたけれども『文学の楽み』(一九六七)所収の「読める本」で「文学といふのは、要するに、本のことである」と公言してゐる通り本を読むといふ行為に文学の楽みがあるので詩や散文を中心に文学を考へてゐる。

 古典主義時代の理想は「紳士(honnête home: gentleman)」であり芸術を作るにも楽むにも「よき趣味(bon gout: good taste)」を共有してゐる必要がある。文学は対話の共同体であつてそれには最低限の共通規範であるリテラシイが成り立つてゐなければならず、如何なる古典芸能もこれまでに蓄積されて来た共通理解といふものがあつてそれを知らない初心者には敷居が高いけれども承知してゐるとより拡がりを持つて味へる。作者も読者も規範を共有していてその共通理解を感受するのが文学の楽みであるといふのが吉田健一の考へで『東西文学論』一九五八)所収の「日本で文学が占める位置」に於てマルセル・プルウストの文章が日本では難解で読み難いとされてゐるがこれはあれを踏へてゐるのだなといふやうな文学の規範さへ身に付いてゐれば読み易く「あの味は一度覚えてしまふと病み付きに」になつて「果てしなく拡がつてゐる文学の世界」の「縮図」でありその作品を読むことがそれを味へると言つてゐて、この吉田健一は淀川長治がビリイ・ワイルダア監督の『サンセット大通り』を語る口調に似てゐる。

 

 そのスワンソンが『サンセット大通り』であんな役をやった。ビリー・ワイルダーは本当にシュトロハイムをこの映画に使い、グロリア・スワンソンをこの映画に使った。どうしてこの映画に二人を出したか、残酷な話ですなあ、しかも、デミルと会わした。それだけじゃなくて、もっと面白いことをした。当時、最も新人の、若手のウィリアム・ホールデンを使って、ホールデンにトーキーの演技、「ハウ・アー・ユー」「アイ・ゲット・ユー」「ゲッタウェイ」。もうさっぱりした役。「オー・マイ・スウィート」、そんな感じでペラペラしゃべる演技をつけといて、方やスワンソンにはできるだけサイレントの……スワンソン時代、サイレント時代、ちょうど『フーリッシュ・ワイヴズ』時代のデザインで、「アイ・ライク・ユー」「アイ・ヘイト・ユー」「オー、マイ・ハズバンド」みたいにオーバーな演技をさせてみた。

(淀川長治「リアリズムの巨匠 エリッヒ・フォン・シュトロハイム」)

 

 あれがどうしてもキートンを、ワンカットでも出したいので、あの『サンセット大通り』のグロリア・スワンソンが、あのウィリアム・ホールデンとタンゴ・ダンス踊るところで、こちらの隅でポーカーをしている。HB・ワーナーとバスター・キートンともう一人、アンナ・Q・ニールスン。その中にただ黙って、黙って、キートンがトランプやっているとこだけ撮った.でも、「キートンさん、キートンさん、ぼくの映画に出て下さい。ありがとう」、なんていっているビリー・ワイルダーのそういう感じが分かりました。いかにキートンを愛しているか。

(淀川長治「スラップスティックの王様 バスター・キートンについて」)

 

 淀川長治は映画を壊してゐるとジャン=リュック・ゴダアルを嫌つていたがそれは映画を映画たらしめてゐる規範を破壊してゐるといふことでゴダアルの映画を見てこれこそが映画だと勘違ひして規範を知らない儘に作品を撮る監督が出て来て仕舞ひ映画が自分を見失うことになるのを危惧してゐるぁらである。実際、齟齬のある会話の場面をテンポのよいカットバックを用てゐる映画を見せられるとジョッキに霜が付いている位に冷えたギネスを出されたやうな感じがして規範から学びなおした方がよいと言ひたくなる。それはさうと日本の自然主義文学は文学の世界から孤立した個々の作品しかなくてそれを読んでもその作家のことは解つてもこの広大な文学の世界に入る為の地図や道標の役割も果してゐなくて文学の全体像に於てその作品がだういふ位置にあるのか見失つた迷子だと結局は知る。

 

 作品に出て来る言葉にしてからさうである。「私のやうなものでもどうかして生きてゐたい、」といふのは、引用は正確でないかも知れないが、藤村の何とかといふ作品にある言葉であつて、藤村の文学に就て何か教へてくれることはあつても、ただそれだけである。

 併し例へば、「ゲルマントの方」の書き出しLe pépiement matinal des oiseauxがどうかしてFrançoiseといふ言葉は、極めて自然にアナトオル・フランスのJe vais vous dire ce que me rappelle……といふあの何とかといふ本の書き出しと同じフランス文学の、或はフランス文学に限らない文学といふものの伝統の上に立つてゐることを感じさせて、同じ聯想の作用によつてヴァレリイのentre la coupe et les lèvres……だとか、comme de mesurer deux longueursだとかいふ言葉がそれぞれの背景になつてゐる作品を競つて雑然と頭に浮かんで来る。

 勿論、これはフランス文学の場合だけのことではない。ジイドが作品の題詞に使つてゐるQuid nunc si fuscus Amyntas?といふロオマの詩人の句は、ジイドの作品から切り離す必要がないのである。だからこそ比較文学が比較文学ではなくて文学の常道なのであつて、エリオットに「荒地」のやうに、他所の国語で書かれた名句を目茶苦茶に自分の詩の中に入れる方法も、さういふ点で認めてやらなければならない。

(吉田健一「日本で文学が占めてゐる位置」)

 

 「傑作」は文学の規範となつてゐたりそれを踏まへてゐたりする作品で傑作は規範的な作品を積極的に模倣してそれを公言してゐるが日本の近代文学にはさういふ作品が少ない。吉田健一の「文学」はその規範を指してゐるのであつて規範はそれを生存たらしめてゐる核心であり、浪漫主義は気儘な物言ひばかりして文学の規範を無視しただけでなく蔑にししやうとしてゐる。例へばジャン=ジャック・ルソオは『フランス音楽についての書簡』(一七五三)に於て演劇を「見る者」と「見られる者」に分離してしまつてゐると糾弾して始原的な共同体である村の広場の中央に柱を一本立ててその廻りを村人皆で踊る「祝祭」を理想としてゐる。併し古典主義の演劇は「見る者」も「見られる者」も規範を共有してゐてその上で楽しんでゐるのであつて決して乖離はしてゐない。この共通理解があつて演劇は成り立つてゐて作者や役者や観客はそれを通じて対話してゐるのでかういふ有機的な関係を知らうともしないで演劇を否定するのは余に浅はかである。浪漫主義と言へば、その作品を読んでそこに散りばめられた文学の固有名詞に興味を覚へて手にとつた所で浪漫主義的なアイロニイの口実の為に無意味だから選ばれただけだと知つて「果てしなく拡がつてゐる文学の世界」に辿り着けることもなく作者の病的な悪意に嫌な気持ちになるやうな場当りの思ひ付きや思ひ込みを謎と解釈してベストセラア小説を持ち上げて、もしあの年にさうでなかつたならといふ問ひで世界で最も論じられて来たのは一九四五年八月の原爆投下であつてさういふ根本的な認識がそもそも抜けてゐると主張しない作家や批評家を目の当りにすると一九四五年の後では二〇世紀後半のもう一つの世界を描く作品ではそれを考慮しないのは今の国際情勢にも関心がないのかと言はれても「しやうがない」だらうと思へて、作者にしても誰もが何となく覚へてゐる対象をモチイフとした中途半端な作品こそが最も同時代的に受入れられるのは読者にとつて小さ過ぎる対象は素通りして仕舞ひ大き過ぎる対象は浸透してゐて手に負へないからだといふことを承知して吉田健一の「無学であつても構はないぢゃないかといふことはない」といふ『東西文学論』所収の「文学の実感」の件を思ひ出してしまふと直接関係ないことまで付け加へたくなる。

 古典主義は文学を文学とする為の規則や理論の体系を築き上げたが浪漫主義はそれを窮屈に感じてそれを破壊しやうとしたけれども吉田健一に言はせれば浪漫主義は古典主義の不自然な転倒でしかない。浪漫主義の気紛れで無節操、悪意に満ちた企ては古典主義による文学の定型があつて初めて可能なのであり、定型が出来てそれを崩すことに新しさを示さうととするのは本物があつてそれを変形した二次的な作業であつて寧ろそれだけ古典主義が規範として完成度が高かつたといふことになる。そもそも古典主義といふ名称は浪漫主義の対立概念として十九世紀になつて事後的に考案されてゐて当時の作家は自分達をさう呼んでゐた訳ではない。又小説や詩といつた「近代文学」は古典主義文学に対置されてゐて両者は対立してゐるやうに把握されるが近代文学は古典主義といふ強固で安定した規範を前提としてゐるのであつて世紀末ヨオロッパはそれを思ひ出してゐる。

 

 ヨオロッパの世紀末に就て考へる上で寧ろ重要なのは詩が言葉であるといふのが浪漫主義が登場した為に無視されたことであるとともに、詩が言葉であるのは人間が詩を作り出して以来のことで、従つてそれを改めて認めるのは詩をそのもとの状態、つまりは詩に戻すことだったといふことである。

(吉田健一『ヨオロッパの世紀末』)

 

 吉田健一は私小説を代表とする日本の近代文学を認めなかつたがその一方で近代以前の東洋文学を愛好してゐてそれらには文学の「縮図」を感じさせてくれるからである。例へば江戸時代中期に『世界項目』といふ演劇作成マニュアルが刊行されてゐて『忠臣蔵』とその外伝である『四谷怪談』はそこに挙げられた『太平記』巻二十一の「塩冶判官の慙死」をモチイフにして執筆されてゐるので戯曲の作者も演じる俳優も劇場に足を運ぶ観客もこの背景を承知して楽むのが当時の姿である。日本文学には本歌取りの伝統があるがそれは別に短歌に限定される訳ではない。併し近代文学になるとこの伝統が忘れられて文学の歴史との有機的な関係が失れその楽みも無くなつて味気ない。

 勿論、規範を味ふ楽みは文学に限らないので文学ならではの根源的な規範を確かめる必要がある。吉田健一も文学ならではの喜びに就て自覚的であり規範の中でも最も根源的なものは何かといふ問題を繰り返してゐるけれども必ずしも答えられてはゐないやうに見えるので『文学概論』(一九六〇)所収の「言葉」に於て「大切なのは、この言葉が言葉になつた時の形が詩であることであり、我々はそれ以外のものに詩を求めることは出来ない」といつた件を同語班反復だと認めた上でその意義を見出さうとする吉田健一論もある。併し規範への意識からこれを読み返すと意味は明確である。詩の最小単位は単語、即ち言葉であるが言葉が言葉としてあるだけでは詩にならないのであつて言葉はある規範を通じて表現された時に初めて詩となり、その規範に基かない言葉に詩を認めることは出来ないと吉田健一は主張してゐる。

 

 我々は言ふことがあるのでなくて言葉に教へられることを求めて言葉を探す。それによつて教へられるのが我々と我々がゐる世界の状態であつてかうして我々は言葉で我々の世界を開拓して行く。ギリシャ人にとつて同じで言葉が論理でもあり、言葉を指すものでもあつたのは論理の精妙は言葉の精妙を通してしか得られず、この二つの精妙は事実同じものだからだつた。これは更に親密とも慕情とも受け取れる精妙である。我々に言ふことがあるのではない。我々が望むのは言葉に触れて生きる思ひをすることなのである。

(吉田健一『言ふことがあることに就て』)

 

 規範は共有されてゐなければならないので記憶し易さが要る。思ひ出す為には言葉を共有出来るものとして表現することが必要でかうした営みは言語の如何に拘らず普遍的である。古代ギリシャのホメエロスの叙事詩やアイヌの英雄叙事詩『ユウカラ』といつた世界各地には多くの長大な口承文学があつて記憶するには何かに文字で記すよりも節を付けて歌ひ身体で覚へるやうにした方が暗記そ易いといふことを教へてくれる。そもそも文字で書き留めるのは記録であつて記憶ではない。さうした作品には繰り返しが多くそれは強調ではなくて語り手にとつても聞き手にとつても覚へ易くなるからで人間は文字がなくても記憶する術を歴史の中で身に付けてゐる。吉田健一も『文学の楽み』(一九六七)所収の「詩と散文」に於て「文学を詩と言ひ換えてもいい位であるのは、一定の言葉数で我々に最も大きな楽みを与へてくれるのが詩だからである。或は詩といふ形式の目的がそこにあり、それ故にそれに従つて言葉を組み合せて成功した結果がさうなるからで、当然、ここで詩といふものは詩であるものを意味する」と言ひ文学の始原的な規範が言葉のリズムであるとを承知してゐてそれを味うことが文学の楽みだと明示化してゐる。又一九六〇年に著した『飜訳論』で「この韻律の問題が詩に限られてゐると思ふものは、実地に文章といふものを読んだことがないので、そのことが解らなくて散文の文体を論じるなどといふのは、恐らく、例へばアランには文体論があるが、韻律論はないといふやうな、外国の本で頭に叩き込まれた観念だけで文学のことを考へてゐる結果に違ひない」と述べて言葉のリズムの問題が詩だけでなく散文にも言へると指摘してゐる。吉田健一の認識が単純すぎるといふ批判は寧ろ複雑の生まれる仕組みが解つてゐないだけで文学は複雑であるが複雑な現象の源は単純な原理が働いてゐて最初から複雑であつたならそれ以上に複雑になることが出来ないので単純な原理が絡み合うことで複雑になつて行く。如何なる言語にもネイティヴ・スピイカアが聞いて落ち着く特有のリズムがあり、日本語で言ふと三拍或は四泊の単語が多く助詞等は一拍乃至二拍であるのでこれらを組合せると五拍と七拍になりそのリズムで詩や散文や戯曲を作ると聞く方も心地よく感じる。記憶し易さを物語性に求めるのは適切ではなくて今日でも偶像崇拝の禁止といふ大原則の為に物語性がある訳でもない『アル・クルアン』を暗誦出来るムスリムやムスリマが少なくないがこの聖典は元々口承で伝へられてゐた通り非常にリズミカルである。アラビア語の単語は通常三つの子音から成る語根に基いて構成されてゐてこの語根が様々な母音パタアンと結合して名詞と動詞の基本的意味を表す単純形を作り、これに接辞が付ひて複雑な派生意味を示す派生形が出来上がる。例へば「イスラアム」も「ムスリム」も「ムスリマ」も「サラアム」も同じs(スィイン)l(ラアム)m(ミイム)の語根に遡ることが出来る。又アラビア語の母音はアとイとウの三つだけで母音の音が揃ひ易い。かういふアラビア語の特性から『アル・クルアン』はリズムによつて暗誦し易くなるとともにアッラアから預言者ムハンマドに伝へられた神の言葉であるのでこの聖典がアラビア語の規範となつて文学に於て韻律が重要視されて行くのも当然である。韻律は中世の頃に中国やインドやイスラアムの世界で発達してゐてイベリア半島がイスラアムの統治下である時にヨオロッパにその洗練された技法が伝来してヨオロッパはそれを自分のものにしやうと苦心する。

 

 ヨオロッパの人間に就て考へてゐて度々改めて気付くことになるのは今までにあつた幾つかの文明の中でヨオロッパのが文明と認められるやうになつてから最も日が浅いといふことである。

 (吉田健一『ヨオロッパの人間』)

 

 古典ギリシャ語はアクセントが強弱ではなくて高低だったので古代ギリシャの演劇に於て台詞を書くことは作詞であるとともに作曲でもあり音楽的で覚へ易くなつてゐる。当時は専門の役者といふものはいなくて誰が演じても面白くなつてこそいい演劇だと考へられてゐたので素人の観客を舞台に上げて仮面を被らせ作者が演技指導をして上演してゐる。ウィリアム・シェイクスピアが活躍したのはエリザベス朝でその頃は演劇の時代と言へる程芝居が流行してゐて作品の廻転も速く役者は短期間の内に多くの台詞を覚へなければならなくなるが劇作家もそれ位は承知しているので記憶し易いやうにリズミカルにしてゐる。従つてシェイクスピアがソネットを数多く創作してゐるのは寧ろ自然の流れだらう。ソネットは音節数とリズムの揃つた十四行から成つて各行の末尾の語が韻を踏んでゐる定型詩で、「ソネット(sonnet)」は「小さな歌」を意味するプロヴァンス語の”sonnet”とイタリア語の”sonetto”に由来して一二二〇年代にイタリアでダンテ・アリギエリやフランチェスコ・ペトラルカ等によつて押韻構成と特定の規則を持つ十四行の詩に発展してゐる。ラテン語は日本語と同じやうに高低のアクセントであつて大体のヨオロッパの言語のアクセントは強弱であるのでギリシャやロオマの作品を参考にして韻律を作らうとするには工夫が要る。特に数多くのソネットを作つたペトラルカの押韻のパタアンは同じアルファベットが韻を踏んでゐる記号として表すと「ABBA ABBA CDE CDEE」や「ABBA ACCA CDE CDE」である。ソネットに於て何行かが一纏りになつてゐるのを「連」と言ふのでウィリアム・シェイクスピアのソネットは四行の纏りが三つあつて最後の二行が一纏りに付いてゐて四行連句が三連と二行連句が一連である。英語とラテン語での間にはアクセントの位置にも違ひがあつてラテン語の単語では後から二番目か三番目の音節にアクセントがあるが英語の場合は単語の最初の音節にアクセントがあることが多い。シェイクスピアが書いたソネットの中で最も多いパタアンは一行目と三行目、二行目と四行目、五行目と七行目、六行目と八行目、九行目と十一行目、十行目と十二行目を押韻させて十三行目と十四行目を押韻させる形で「ABAB CDCD EFEF GG」と言ひ表せる。英詩では読む時に各行の音節の強弱が揃つてゐなければならないので強弱や弱弱強、強弱弱等のリズムがあつて各行で何度繰り返されるかが凡ての行で一致してゐる必要がある。猶英詩のソネットでは弱強のリズムが一行で五回繰り返される弱強五歩格のパタアンが多い。規則は色々とあつても英語には歴史的に蓄積されて来た英語特有の落ち着くリズムといふものがあつてそれを通じる時、言葉は詩となる。

 

 我々は結局は詩に戻つて来て自分がゐる位置を確認する。それは我々が自分であつてどこかにゐるのに必要ま最小限度のもののやうで詩は言葉であり、又それは人間が人間である時の姿を示す言葉であつて後は我々の方で引き受ける。この場合に詩といふのが如何に簡素なものであるかも註するに値して、それは一冊の本でさへもなくて我々が詩に、人間が人間である時の姿を示す言葉に少しでも親しむといふことをしたことがあるならばその一つや二つは常に我々の頭にある筈で本で読むのと頭の中で響くのでその言葉の性質に違ひがあるといふことはない。どうかするとそれが響き、我々が夕日を見る態度が写真の感光紙に似ていればそれが不自然であることに我々に気付かせ、友達が他人に思はれるならばさう思ふ自分の方が人間でなくなり掛けてゐることを理解させる。それならばここに懐しさといふことをもう一度持つて来てもいい。我々が詩に懐しさを超えて生命を感じることで懐しさといふのが生き返る前触れに過ぎないことが明らかにされる。

 他の凡てのことはそれがあつての、それから先のことであると見て差し支へない。事実さうだからで、その昔この地球に人間が現れてから今日に至るまで人間を越えたどのやうなものも人間は作らず、その人間の言葉といふものを合わせて考へる時、伝説によれば人間を作つた神以上に人間は人間といふものに満足してゐる。これが我々が或る言葉に接して改めて確認することであり、その瞬間から地球が再び廻転し始めて我々の周囲には人間の世界がある。そこで語り継がれるのが詩でもある言葉で既に文学と言ふ必要はない。

(吉田健一『文学が文学でなくなる時』)

 

 吉田健一は近代以前の東洋文学にもさうした規範に則りその言語特有の落ち着くリズムを踏まへてゐるのでそこには吉田健一が繰り返して言ふ文学の楽みがある。吉田健一の漢詩の愛好はよく知られてゐて漢詩は押韻と平仄といふ二つの大きな原則を始めとして数多くの規則があり、漢詩を味うにはそれ以前の作品を熟知してゐて中国文化にも通じてゐるとともにさういふ詩たらしめる諸々の規則を理解してゐる必要がある。文学は言葉によつて出来てゐる以上、この詩が詩のリテラシイに如何に基いてゐるかを知つて言葉といふものを楽むことが根本的には文学の楽みに繋がつてゐる。

 かうした吉田健一の「文学の楽み方」はロラン・バルトの「テクストの快楽」とは違つてゐて「規範の快楽」である。バルトは『テクストの快楽』(一九七三)に於てこれまでの読解が閉じられた最終的な唯一の意味を探し求める行為だつたのに対してテクストを読むといふことは終りのない遊戯であり生産行為であつて古い分類を覆す力であると定義してゐる。併しこれは言葉が文学となる言語に於る暗黙知と明示知の問題を無視してゐて文学がだういふ風に文学になるのかと他者に問はれることを前提としてゐなくて、文学が誰にとつても外国語であるといふこと、即ち文学に於てネイティヴ・スピイカアがいないことを見ないで文学の世界はいつもそこにあるのだからと高を括つて好きに読んでも構はないといふ態度があつて文学を文学と自明視してゐる。駄作であつても感動することはあるものでそれは作品の力と言ふよりも読んでゐる自分自身の精神状態に原因があつてそれは文学ならではの感動とは別で或る本を読んでそれが文学的にだういふ意味があるのか自分だけでは解らないので規範を調べる必要がある。吉田健一にとつて文学の楽みは暗黙のことで他者からその理由を尋ねられることは多くて暗黙知を明示化して語ることを続けてゐて吉田健一の読み方は文学を外国語として捉へる教育行為である。

 

 今から思ふとわれわれにこれからどうなるといふ考へが全くなかつことに気が付く。これを現在に生きたといふ風に言へば聞えがいい。併し我々の現在は別に充実したものだつたのでなくてただ幾つかの瞬間が充実し、さういふ瞬間が過去にも求められることを我々も知つてゐてそれを得た。これは時間の観念、或は時間が流れるものであるといふ観念から随分遠い。

(吉田健一『素朴に就て』)

 

 吉田健一は言葉が時を経て変つて行くことは認めるが用法には厳しい。例へば吉田健一が「禿山頑太」等のの筆名で一九五二年頃から五八年まで続いた『東京新聞』の連載コラム「大波小波」に記した『禿山頑太集』の中で言葉遣ひや仮名遣ひ、当用漢字、飜訳等を取上げて言葉に対する姿勢に問題があると何度も指摘してゐる。言葉の用法も規範に則つてゐる筈でそれを顧みることもせず思ひ込みで使つておきながら言葉は時代とともに変化するものなどと言ひ訳するのは言葉に対する姿勢が不誠実である。変化といふものは人為的に起るものではない。又変化は決められた方向に進むものでもなくて突然発生してその前後が途切れてゐるものでもなくて日常的なものである。世界は絶へず変化して安定を保つてゐる。変化は物理学と化学では意味が違つてゐて物理学では物質の運動が変ることを指してゐるのに対し化学に於ては反応によつて異つた物質が生成することでありさうした見方から考へると吉田健一の変化に就ての理解は奇妙に思へるが自己組織化の理論を知つているとそのことだと解る。自己組織化といふのは自然界はエントロピイが増大してランダムの方向に向ふが秩序化する力が勝つことであり、例へば雪の結晶の生成や人間の体温調節がさうである。文学の世界は既に確固として存在してゐて自己組織化に基いてゐるので作品によつてその世界が変化することはない。如何なる作者も如何なる作品も文学以上ではない。

 

 或る一篇の詩を聴かされるか読むかしてその詩と縁があるならばそれが世界を変へるのであるよりもその詩が世界であるといふ感じがすることがあつてそれが必ずしも間違つてゐないとも考へられる。併しその詩が世界であるならばその詩である世界といふものがやはりあり、それはその詩でもある世界であつて我々は再び我々がゐる世界の中に立つ。その詩が作られる前はその形で世界であるその詩はまだなくてその形を取つた世界が今はある。併しそれはその詩の為に世界が変つたといふことではなくて我々がその詩のことを考へてゐる世界である。

(吉田健一『変化』)

 

 吉田健一が過去に生きてゐるだとか過去を理想化してゐるだとか反動的に振舞つてゐるとかいふのは文学のリテラシイを理解してゐないだけである。吉田健一の文学の世界の時制は常に現在形であつて作家達は新しい表現方法を模索してゐるが外来語を含めた新しい長い単語が出現しても「いかりや長介とザ・ドリフタアズ」が「ドリフ」になつて「パアソナル・コンピュウタア」が「パソコン」になり「インタアネット」が「ネット」にされて「携帯電話」が「ケエタイ」に略されてゐるやうに三拍或は四泊の単語が多い状況は変らないので五音と七音が落ち着くリズムであることに変化はなくてこの規範は続いてゐる。意識してゐなくても日本語の特性の為に自然とさうなつてしまうので作家達がより新しい表現を探す程にそれが衝撃的になる一方で定着しないで忘れられて行くことがほとんどで逆に規範の強さが印象付けられることになる。行き詰まりを見せてゐるのなら従来の枠組みに囚れることなく自由にすれば門外漢も関心を持つやうになり復活するといふ考へもあるが古いものは駄目で新しいものがいいといふ進歩主義的な見方が潜んでゐるので吉田健一が『文学の楽み』所収の「新しいといふこと」に於て次のように述べることになる。

 

 この頃の文学界は停滞してゐるとか、何かが待望されてゐるとかいふことが言はれる時、その背後には、古いものは駄目で新しいものがいいのだといふ考へが潜んでゐる。その古い所で、畳を換へるやうな話であるが、たださういふ気がするのでそんなことを思つて見るといふ種類のかうした態度を誰も疑はうとしない為に文学で実際に新しいものが無視される結果になる。

 

 凡ては言葉の問題に戻つて来る。本当に沈滞といふものがあつて、それが長く続いた後に言葉らしい言葉に出会つたならば、その時に受ける印象が新しいといいふものであり、それが新しさの定義、或は尺度にもなる。そしてその新しさは失はれない筈である。(略)文学の世界では、新しくないものは文学ではないのである。

 

 今何故吉田健一なのかといふ問ひ掛けは吉田健一は古いものでありそれを今時批評として扱ふの何等かの理由が要るといふことだらうがそれに反発して新しいものに我慢がならないので吉田健一を読むといふのでは新しいものがよくて古いものは駄目だといふ前提があつてそれなら吉田健一の本を開くまでもない。吉田健一の文学の世界は規範に忠実で安定してゐるがそれは過去ではなくて何時でも現在であつてそれを味う為に吉田健一を読むといふのなら解るといふものである。吉田健一の息の長いセンテンスは忘れかけてゐた記憶を手繰り寄せるやうに思ひ起こして記すマルセル・プルウストと似て非なるもので何時までも続く規範の世界を言ひ表してゐる。

 

 レダが白鳥に犯されたのがトロヤ戦争の遠因をなしてゐるといふのは神話である。併し我々がアポロドロス、或はオヴィディウスを読んでゐてこれを過去にあつて後世に伝へられた捏造とは考へなくてそれ故にこれが歴史であることにならなくても我々がそこに確かにあると感じるものはそこにある。それが何であるか解らなければならないといふことはない筈であつて我々の眼の前で起こつてゐることでも我々に解らないことは幾らでもある。その解るといふことに執着するのが我々に言葉をその意味を思はせて自分の感覚よりも解説に頼らせるので確実にあることを知つてそこに自分もゐることを認めるのはその意味を取ることでもなければそれが解説の種になることでもない。併し世界を見廻してそこに間違ひなくあると認められるものはそこにあり、そこにあつたのでないのはその感覚を生じさせるものがないからであつて我々がものを見る時の眼を世界に向ければさうなる。そこにあるものはあつて我々に語り掛けるがかういふことが嘗てあつたと語るものはなくてそこにも流れる時間といふのは常に現在である。

(吉田健一『時間』)

 

 規範に忠実な世界は例へば藤子・F・不二雄の『ドラえもん』がさうであつて夏目房之介の『マンガはなぜ面白いのか』によると「コマの構成がきわめて定型的でわかりやすい」ので「大小長方形のコマが知意義に並んでいて、読者は、まったく無理なく視線を運んで話を読んでゆくことができます」。「『ドラえもん』に登場する人物達は、(略)とてもわかりやすい喜怒哀楽の表情をもっています。笑いは笑い、哀しみは哀しみ、怒りは怒りで、何の疑いもない記号として安心して読めます。それは主人公達が住む世界が、まるで時間が止まったように律儀な架空の町として描かれていることに通じています。学校と家、商店、庭、そして土管のある空地(略)。これらの設定は、連載開始の九六年からほとんど変わりません。登場人物はもちろん年をとらないし、同じようなことがずっと繰り返しています。どんなに奇抜な事件がおきても必ず元の世界の、のび太の家に帰っていきます。のび太の部屋は、あれだけズボラな性格のくせに異様に片付いて安定しています。そして、何よりもドラえもんそのものの造形が、じつに安定した丸の集合によってできています」。併し『ドラえもん』は漫画の黎明期から続いてゐる作品ではなくて『あしたのジョー』や『カムイ伝』や『ねじ式』や『天才バカボン』が発表されて漫画産業が急速に成長して行き先鋭的な漫画が次々に登場して読者の年齢層が高くなるとともに元々の読者であつた子供達が置いてけぼりにされた時代である。藤子・F・不二雄はさういふ子供達の為に漫画の規範に忠実な作品として描いたのが『ドラえもん』であつて「以後、じわじわと人気を上げ、低年齢層だった読者が懐かしむ形で層が広がり、今では東アジア諸国で古典のような作品になっています。ここまで『ドラえもん』が定着した理由の一つは、あきらかにその安定したコマと絵の表現にあります。おそらく戦前の『のらくろ』がそうであったように、安心して読める構造があったのだろうと思われます。日本のマンガの底辺を支える作品の一いつだと思います」。子供達は作者が誰であつても構はなくてその漫画の力だけで良し悪しを判断するので漫画が長年にわら亘つて蓄積されて形成されて来た漫画を漫画たらしめてゐる規範といふものが最も説得力があり、『ドラえもん』はさうした規範を体現していて最も資源的な漫画の魅力を持つてゐる為に普遍的な古典となつてゐる。吉田健一は「文学の実感」に於て「言葉が我々を打つといふ根本的な条件を離して文学がある訳はないのみならず、文学作品で何かを行はれようと、我々は最後に戻つて行くのは常に言葉と、言葉の世界が我々に約束する自由なのである」と言及してゐてこの「言葉」を「規範」と置き換へると漫画でも同じことが言へる。

 

 洗練されたものの洗練を喜ぶのも素朴にであることでそれ以外の受け取り方があると思ふ時に我々は俗に堕する、

(吉田健一『素朴に就て』)

 

 詩があつて人間は人間であることを得てゐるのであり、それを喜ぶのも悲しむのも詩が人間の世界を支へてゐる。それならば時間は死とともに、又この二つなくしては何かの意味さへもなくなる人間といふものとともにその是非を論じられるものでなくてこれを個人的に喜ぶか悲しむか、その喜怒哀楽も時間のうちにある。

(吉田健一『時間』)

 

 定型的な作品である程、文学の本質的な魅力を備へてゐる。吉田健一は文学の定型とその重要さも承知してゐて文学の世界は感情と一致して規範の支配する定型に覆れ安定してゐる。吉田健一の批評が大切なのは文学ならではの根源的な規範から文学を捉えやうとしていたからで文学には文学の定型といふものがありそれをそれとして味うことは「俗」に堕さない健康的な姿勢であるとともに文学を本質から解つてゐなければ出来ない。文学の規範を解らない儘に本を読んで文学を楽しんでゐる積りでゐても実際には文学とは全く関係のない所を文学だと思ひ込んでいるだけである。これまで数多くの批評の方法論が登場してその刺戟に慣れて仕舞ひ誰もがやつてゐるやうな退屈な読解と感じられるので自分なりの新たな着眼点や切り口を見出して新鮮な解釈を提示することが批評だと思はれてゐる。併しさうした読解は我田引水であることが少なくなくて詰らない作品もかうして読めば面白いといふやうな無理のある提案で文学ならではの楽みとは違つてゐてそれを読んでも文学の楽みそのものは読者には伝らない。古典的な作品はその周辺や或る部分だけに着目する方が新しい解釈が見付けられる訳ではなくて規範を具現してゐるから読み継がれて来たので寧ろ規範を直視する方がその作品ならではのものが解る。吉田健一は何時も文学を読んで楽しんでゐて言葉が心を打つのが文学であつてそれ以外を褒めるのだつたら文学を読まなくてもいい訳でその為に文学を守らなければならないと感じて振舞ひ続けてゐる。吉田健一は文学を誰よりも愛した人間であり吉田健一を読むことで我々は文学の本質的な楽み方を知る。

 

 世界が平均して落ち着いたものであつてそこに働きは絶えずあつても波乱と言へる程のものはないからなのだらうか。一般に波乱といふ風に呼ばれてゐてその扱ひを受けてゐるものは新聞面で見れば目を驚かせるものがあつてもその新聞を読んでゐる我々はそれを波乱と考へてゐない。それは我々の日々の流れを変へるものでなければそのことを恐れさせるものもそこにはなくてその為に報道するものの方はなほのこと躍起になつて波乱に仕立てられる材料を探す。併しそれにはかういふ効用があつて我々はその為にその波乱、椿事も我々にとつて日常のことと考へるに至り、それを我々の日常の一部をなすもので差へもなくて新聞面でだけでも椿事を我々が意識する日常の変化と混同しないことを知るのは必要なことである。仮にアラビアの油田全部が燃えるといふやうなことが起るならば現在の人達はその対策に追はれることになつてもそれでもこれを変化とは考へないに違ひない。それを変化と見る前にその対策を講じることが必要だからでもしこれが功を奏するならばそこから再び変化を意識する時間がたち始める。

 アラビアの砂漠に油田を焼く炎が昇るのが変化でない。その火は消さなければならなくて火が消えればそこにアラビアの砂漠があつて一日の後に夜が来ることも砂丘の影が紫色になつて行くのも解る。この変化が我々に時間をたつのかそれまで通り続いてゐることも我々が息してゐることも砂漠の向うに地中海が葡萄酒の色をした波を起伏させてゐることも我々の意識から逃れなくする。その変化が我々の息遣ひだからであつて息がある間といふのは我々が変化とともにある間である。

 (吉田健一『変化』)

〈了〉

 

参考文献

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笠原潔、『改訂版西洋音楽の歴史』、放送大学教育振興会、二〇〇一年

柄谷行人編、『近代日本の批評 昭和篇〔下〕』、福武書店、一九九一年

金田一秀穂、『日本語のカタチとココロ』、日本放送出版協会、二〇〇七年

篠田一士、『吉田健一論』、筑摩書房、一九八一年

清水徹、『吉田健一の時間 黄昏の優雅』、水声社、二〇〇三年

高橋英夫、『琥珀の夜から朝の光へ 吉田健一逍遥』、新潮社、一九九四年

都甲潔=江崎秀=林健司、『自己組織化とは何か』、講談社ブルーバックス、一九九九年

中尾俊夫、『英語の歴史』、講談社現代新書、一九八九年

夏目房之介、『マンガはなぜ面白いのか』、NHKライブラリー、一九九七年

丹生谷貴志=四方田犬彦=松浦寿輝=柳瀬尚紀。『吉田健一頌』、水声社、二〇〇三年

富士川義之、『新=東西文学論 批評と研究の狭間で』、みすず書房、二〇〇三年

堀田彰、『エピクロスとストア』、清水書院、一九八九年

森毅、『無為の境地!』、青土社、一九九八年

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渡邊守章=渡辺保=浅田彰、『文化と芸術表象』、放送大学教育振興会、二〇〇二年

渡邊守章=柏倉康夫=石井洋二郎、『フランス文学』、放送大学教育振興会、二〇〇三年

 

ロラン・バルト、『テクストの快楽』、沢崎浩平訳、みすず書房、一九七七年

ウィリアム・シェイクスピア、『ソネット集』、高松雄一訳、岩波文庫、一九八六年

ミシェル・フーコー、『言葉と物─人文科学の考古学』、渡辺一民=佐々木明訳、新潮社、二〇〇〇年

 

『吉田健一集成』全八巻別巻一、新潮社、一九九三年

『新潮日本文学アルバム六九 吉田健一』、新潮社、一九九五年

 

『ユリイカ 吉田健一追悼特集』一九七七年一二月号、青土社

『吉田健一 ユリイカ 詩と批評』二〇〇六年一〇月号、青土社

 

DVD『エンカルタ総合大百科2008』、マイクロソフト社、二〇〇八年

 

 

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